信州散歩+旅ブログ「笑っていこうよ!」

信州松本暮らし6年目の日々

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4000年に及ぶ壮大な歴史が眠る、元・日本三大遺跡!平出遺跡公園@塩尻市

塩尻駅から車で約5分。

歩いても20分くらい。

そんな市街地からすぐの場所に、かつて日本三大遺跡に数えられた遺跡の公園があります。

 

それが・・・平出遺跡。

 

松本からもアクセスが良いので行ってみました。

 

 

 

平出遺跡とは・・・

 

 

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現在の塩尻駅の西側。宗賀平出という場所にある広大な地域。

その出土品の歴史は幅広く、縄文時代中期から平安時代までのものが見つかっているのだそう。

それって年代の幅で言うとなんと4000年!!

 

4000年って凄くない?

そんな長い間、ここには集落が存在していたっていうんだから。

だって今から20年前はインターネットもマニアなヤツしか使ってなかったし。

30年前なんてスマホどころか携帯電話も一部の金持ちしか持ってなかったわけでしょ。

100年前だと明治時代だよ?馬車とかに乗ってたわけで。

それの40倍もの時間、集落があったのってとんでもなくない?

だって、逆に4000年後って、日本どころか人類がどれだけ残ってるかもわかんないじゃん。

 

 

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そんな平出遺跡。

今は公園となっていて、ガイダンス棟なんてものもあります。

ここで知ったんだけど、この平出遺跡、かつては日本三大遺跡に数えられていたのだとか。

平出遺跡、茅野市の尖石遺跡、静岡県の登呂遺跡がそう。

でもその後、大規模な遺跡が日本の各地で発見され(一部偽造もあったけど)今は日本三大遺跡という括りもあやふやみたい。

 

そんな平出遺跡では様々な出土品がありますが、これ見てよ。

 

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ドラえもん土偶、キティーちゃん土偶!!

 

なんだか可愛らしい土偶!!

一体、当時の人は何を見ながらこれを作ったんでしょうね。

両方とも猫かな??

 

もしかしたら当時の子供が遊び心で作ったのかもしれない。

 

こんな出土品が豊富な平出遺跡だけれど、そもそもは昭和22年に、畑からたまたま昔の瓶が出てきた事から、発掘作業が進んだ地域なのだ。

 

そして今は各時代の建物が復元されている。

 

縄文時代の住居の復元

 

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今から5000年前の縄文時代中期の建物が復元されてる。

藁ぶき屋根のシンプルな造り。

 

 

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中に入ってみる。

すると土の匂いが強烈にする。

 

 

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おお・・・

これは本当に想像が出来ない。

何がっていうと、どうやって冬を越していたのか。

もしかして人類の寿命が延びたのって、食料とか医療の進歩もあるけれど、寒さ対策という面もあるんじゃないだろうか。

 

 

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集落の中でも地位によって家の大きさが違ったんじゃないかと言われている。

5000年も昔に既に格差社会があったのか。

だとしたら人類はずうっと同じ事してんだな。技術とか以外は。

 

 

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復元された集落には立石と呼ばれる河原石が。

これも出土品。

集落にとって、何かの目印にしていたとか、墓標にしていたとか、日時計として使われていた石もあるのではないかと言われていて、日本各地で確認出来る。

とはいえ、もちろんその目的は文字に残っているわけでもないので、今となっては人類の誰にも正確にはわからない。

 

歴史の真実なんて、文字で残されてなければ全て推測だ。

だからこそロマンがあるし、研究のし甲斐があるというものなんじゃないだろうか。

 

 

 

古墳時代の住居の復元

 

 

続いては古墳時代の復元を見に行きます。

縄文時代古墳時代の間に、弥生時代というのがあるけれど、平出遺跡では何故かこの弥生時代と思われる出土品が無いのだとか。

この時代はここに集落が無かったのか・・・。それとも単純にまだ出土していないだけなのか。

 

 

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縄文時代より住居の形が少し複雑になってきてる。

屋根が特徴的な形してるし通気口みたいなのもある。

これももちろん集落での格差はある様で、小さいおうちも多々あったのだとか。

 

そして古墳時代の建物で一番気になったのはこれ。

 

 

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これは!!

歴史のテストに出たよね!

高床式倉庫だ!!

ということは授業で習ったアレが付いているはずだ!

 

 

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これこれ!!

ネズミ返し!!

ここでネズミなどの小動物が登れない様にしているんだよね。

こっそり登って倉庫の食べ物をいただこうという小動物には・・・

3倍返しさせていただこう!!

 

 

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倉庫は高床式なので床が土ではなくて板。

住居よりこっちの方が住みやすいのでは・・・と思っちゃうくらい快適そうにみえた。

 

平安時代の住居の復元

 

そして時代は進み、平安時代

西暦800年頃以降ということになるので、だいぶ違う年代になります。

平安京が作られた時代だし、枕草子源氏物語なんていう女性貴族の文学が有名だったりするこの時代、この辺りの集落はどんな住居を構えていたのかというと・・・

 

 

 

 

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えっ!!!( ゚Д゚)

そうなの??

え?ちょっと待って!!

こういう感じなの??

平安時代って京都の貴族文化のイメージが強かったせいか・・・

 

そうか・・・

 

それはあくまで日本の中心である京都の話なのか。

一般民はこういう家に住んでいたんだね。

しかもこれ多分、集落の中では権威ある人の家だよね。

 

普通の人はこうだもん。↓

 

 

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確かに縄文時代古墳時代からすると大きな変化なんだけど、平安時代をあまりにも京都のイメージで考え過ぎていた。

ほら、映画の陰陽師とかもそうでしょ??

 

 

 

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実は、平安時代ってのは大きな括りで言うと「古代」に含まれるらしい。

古代なんだ・・・その古代の最終盤という括りなのだとか・・・

 

約1000年前の日本人の暮らしは、殆どの人がこういう感じだったんだね。

 

 

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これがカマド。

ここで暖を取りながら料理していたんだろうなあ。

火の取り扱いは本当に慎重にしなくてはいけないよね。

 

 

という訳で、人類の歴史を少しだけ見れる平出遺跡公園でした。

これほど復元された建物が多い場所はあまりないにも関わらず、長野県内でもこの場所はそこまで知られてはいません。

ただ、地元の人が読書していたりするなど、憩いの場とはなっている様でした。

 

信州は大自然だけではなく、こういう歴史を感じれる場所も多い。

人も少ないからじっくりと歴史を味わえました。

 

 

 

☆参考サイト

平出遺跡/塩尻市公式ホームページ

☆平出遺跡公園

駐車場:普通車50台

アクセス:塩尻インターから車で約10分(5キロ),JR塩尻駅西口から徒歩20分

 

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