この長い戦いで少し心が疲れた様だ。
そこで、長野県内の移動であれば良いということで、車を走らせて、松本から30kmほど離れた諏訪大社に行く事にした。
諏訪大社には上社と下社があるのだけど、今回行くのは下社。
そして下社には春宮と秋宮があるんだけど、秋宮は3回行った事あるので、春宮に行ってみる。
2020年5月29日 長野県下諏訪町 諏訪大社春宮
やってきました。諏訪大社 下社春宮。
入口の鳥居からして趣があります。
この鳥居は御影石という石で作られているそうで、1659年に建立されたと言われているそうです。
1659年というのはもちろん西暦。
日本の暦では万治2年。
この、万治という年号、後で再び出てきますので覚えておくように!
諏訪大社 下社春宮とは…ちょっぴり解説
さて、そもそも諏訪大社って何だっけという話。
全国色んなところで諏訪神社っていうのは目にするよね。
実は日本全国に諏訪神社は1万ほどあるとされています。
そりゃ色んなところで見るわけです。
ミニストップですら全国3000店舗ですからね。(比べ方…)
その総本社というべき場所が諏訪大社というわけです。
風と水を司る龍神様の信仰があり、農業の神様としても知られています。
水を司るという事から、全国の多くの港に諏訪神社があったりもします。
諏訪大社は4つ存在します。
諏訪湖の南側に上社本宮と上社前宮が。
諏訪湖の北側に下社春宮と下社秋宮が。
それぞれ存在しているのです。
そして今回は下社春宮に向かった。というわけです。
↑実際には高速道路は使わず下道で行きました。
下社春宮を参拝する。
御影石の鳥居をくぐると、すぐにこんな風景に。
正面にあるのは神楽殿。
神楽を行う場所ということでしょうけど、立派なうえ、なんだか綺麗です。
さすがは諏訪大社。物凄く大切に保存されている様です。
画面の左右の奥側には大きな大きな柱が見えます。
近くまで行ってみると・・・
これが有名な御柱です。
長野県に縁の無い人でも聞いた事くらいはあるんじゃないでしょうか。
御柱祭という祭事を。
恐らく、斜面を滑り下っていく場面は一度はニュースで見た事あるんじゃないかなあ。
あれだけをやるわけじゃないんですよ。長い期間かかるんです。
(長野県内では開催年は御柱祭の番組の数は物凄いです。LCV発信!)
そして幣拝殿。
ここで参拝するわけです。
今回はちょっと疲れてるので心の平穏を願いました。
それにしても立派な建物です。
砕けた言い方をすると・・・カッコいい!!!
何というカッコ良さ!
これが諏訪大社!ありがたみを一層強く感じます。
さて、毎回ですが、境内から入口を見た「振り返り風景」
ああ、ここも良いねえ。
参拝後に鳥居へ戻る時の景色。本当に好き。
ん、でも待てよ。
脇に逸れていく道もあるぞ。
大きくて立派な灯篭のある道を進んでいくと・・・
春宮からは出てしまいましたが、まだ他にも巡ってみるべき場所がありそうです。
浮島神社を経て万治の石仏へ
赤い橋がかかってます。
こっちへ進むと「万治の石仏」という看板がありました。
万治の石仏・・・。
さっきの御影石の鳥居が作られたのも万治という時代。
この石仏もどうやら同じ時代に彫られたものだそうで、諏訪でもお土産の和菓子にもなるくらい有名だそうです。
細い赤い橋を渡っていくと・・・
鳥居がありました。
浮島神社というそうです。
その向こうには再び赤い橋。
橋で囲われているということは、川で囲まれている・・・まさに浮島なのですね。
2個目の橋は、川の水量がけっこうありました。
こっちが本流の川なのかな。諏訪湖に流れていくようです。
川に沿って少しだけ上流に歩きます。
といってもほんとに少し。2分くらいかな。
万治の石仏さまが見えてきました。
お・・・。
想像してたのと違いました。
大きな大きな石仏です。
実は先ほどの春宮の御影石の鳥居。
最初はこの土地にあった大きな石を使って作ろうとしたそうです。
ところがミノを使って石を彫ろうとしたとき、その石から血が流れたというのです。
そのため、その石で鳥居を作るのはやめて、阿弥陀様を刻み、この地でこの石仏さまを建立することにしたのだそうです。
この石仏さまの周りを、時計回りに3回歩きながら願い事を心で念じます。
(回り始めと、回り終わりにも決まりごとがあります)
ここでも心の平穏を願いました。
ちなみにこの石仏さま。
その存在が有名になったのは昭和の時代に入ってから。
あの岡本太郎さんが、この造形に感銘を受けたことから、全国に名が知れ渡ったのだそです。
というわけで、春宮と万治の石仏にて、心の平穏を願い、5月を終えました。
6月からは自粛期間も次第に解除され、第2波を警戒しつつも新たな時代へと進んでいくのだと思います。
実際、心が少し安らぎました。
ありがとうございました。