信州松本はやたらと祭りやイベントが多い。
これが松本暮らしの楽しいポイントでもあるんだよね。
そんな松本で今回行ったのは松本中心地エリアで開催された【松本あめ市】
あめ市?
なんのこっちゃ??
という感じだったけど、駆け抜けた感じだけれど見てきたぞ。
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松本市あめ市って一体なんなの アメを食べて楽しむ会なの?
向かったのが夕方だったせいか、既に撤収ムードのあめ市。
開智学校の方へ帰っていく姿が見えます。
あめ市・・・・そもそも何の催しかというと、その歴史は長い様。
「敵に塩を送る」って言葉、聞いたことありません?
最初、この言葉を聞いたとき、僕は盛大に勘違いをして
ケガをした敵の傷口に塩を塗り込んで痛めつけてやる様な酷い事を言うのかと思いました。
てんで違い(;'∀')
遥か昔・・・戦国時代、甲斐の国(現:山梨県辺り)の武田信玄は、駿河の国(現:静岡県辺り)の今川氏真と争っていました。
そこで今川は山国の武田勢へ、なかなか戦略的な手を取ります。
「あいつら海ないじゃん?てことは塩ないじゃん?塩の物流止めちゃおうぜ」
これは・・・「敵に塩を送らない」作戦ですね!
「あの野郎!!」
と武田勢は思ったことでしょう。
「おお、今川もなかなかの手を使うな。これは武田も苦しいはず。よーし、これに付け込んで武田へ進軍だ!!」
とはなりませんでした。
「ちょっと待て!塩の供給を止めるってことは・・、住んでいる市井の人々も困るって事じゃないのか??許せん!!」
という展開になり、上杉謙信は敵である武田信玄へ塩を送る事にしたのです。
これが・・・敵に塩を送る・・というやつです。
現代のSNSでの喧嘩や国会議員なども、このくらいの度量を持ってほしいものです。
※単に、元々あった塩の供給を止めなかっただけという説も有力
その塩は、現在で言う新潟県の糸魚川付近から千国街道を使って、大町市や池田町などを通り松本まで至りました。
そして松本から甲斐の国へと向かったわけですが、送られた塩が松本に到着したのは1月11日だと言われています。
このため、毎年1月11日に、松本では長年「塩市」が開かれるようになったのです。
・・・松本の隣に塩尻という地名もあるんだけど、それも関係してきそうだよね。
この糸魚川からの塩を売りつくしてしまうのが大体現在の塩尻辺りだったとか。
なんだかちょっと変な由来。
え?塩市?ちょっと待て。
あめ市はどうした。
実はいつからか、この塩市があめ市に変化したらしいのだけど、その時期と経緯がはっきりしてないらしい。
ただ、江戸時代初期の文献からは「塩も売ってるけど飴も売ってるよー!」という事が判明しているので、この時代には塩だけを売る市ではなくなっていたのかもしれないですね。
そしてこのあめ市は松本での最大級の祭りにまで発展!!
その後、昭和に入り衰退期もありましたが、現在はイベントとして再興しており、規模もなかなかのもにとして復活を遂げてます。
(起源については諸説あり、上杉うんぬんではなくて深志神社の神主さんが塩を売っていたのが始まりという話も有力説としてあります)
現在のあめ市を散策する
前置きが長く・・・というか、これでもう全て書いた感じ。
行った当日はこんな歴史は全然知らない状態で歩いてきました。
パルコ付近で神輿などが登場
パルコ前では笛の音で獅子舞が登場してました!
おお、完全にお祭りだ!
各町会などが、色んな場所で色んな演目を披露している様です。
これは盛り上がる♪
神輿も登場です!
けっこう大規模なお祭りだな!
威勢の良い掛け声が街に響く!
いいなあ、年明けから祭り。
四柱神社近くで振る舞いを頂く!
お!豚汁のふるまいだ!!
ちょっと並んで食べてみたけど、暖かくて美味しい!!
見てよこれ!冬の野外でこんなん幸せでしかないでしょ!!
上杉の歴史を感じる!
そして見つけたよ!上杉の名残を!!
松本でこれを見る機会があるとは思わなかった。
毘っ!!!
これぞ上杉!!
カッコ良いなあ。
あめ市といえば飴!
もちろんあめ市なので飴も売っています。
福あめ。
なるほど、こういう飴が売られているのね。
もちろん現代の飴も出ていたけれど、せっかくだから、昔ながらの飴が売れてました。
僕はと言うと甘酒をば・・・
真っ白でコップとの境界がわからない!
これがとっても美味しい甘酒だった。品があるっていうか。
ただ・・・何処の蔵のものか見るの忘れてた・・・
誰かわかります?蔵シック館の前で売られてました。@300円
というわけで、前置きの方が長かった今回の記事でした。
最後は、あめ市の方でも賑わう四柱神社でお参りをして散策終了としました。
松本どころか新潟からの「塩の道」の歴史を感じれる松本あめ市。
新年すぐの時期にあるこの市、一年のスタートにとても楽しく過ごせました。
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