これは、2023年末に起きた、ある小さな火災による理不尽な対応と、急きょ下す事になった大きな決断にまつわる、3か月に渡る奮闘記である・・・。
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青天霹靂の「翌日」
2023年もクリスマスが過ぎ、僕は最後の現場へと行く日だった。
最後の現場は上田市にて夜勤だ。
夜勤をする場合、僕は昼間のうちに現場近くのホテルにチェックインし、仮眠を取り、そして夜中に現場へ出発するというのが毎回のパターンだった。
その日、お昼まで塩尻の事務所で仕事をして、上田市へ行こうかと考えている時だった。
見知らぬ番号から電話がかかってきたのだ。
携帯電話の番号。
一瞬、知らない携帯番号に出るのもどうなのかとは思ったが、出てみる事にした。
それは、僕の母が暮らす、神奈川県相模原市の集合住宅を管理している不動産会社からのものだった。
相手「ビッグサクセス不動産(仮称)の葉月(仮称)という者ですが・・・」
ぼく「あ、はい、お世話になっております」
相手「昨日起きた火災の件で電話させて頂きました」
昨日・・・・。
そう、その前日に起きた出来事を葉月の話と、後から聞いた母からの話をまとめるとこうだ。
「その日」の出来事
うちの母は、70代だ。
けれど、65歳まで働いてた仕事が13時-21時の仕事だったこともあり、朝はゆっくり起き、夜も70代にしてはやたら遅い時間に寝る。25時とか26時だ。
その日も25時過ぎに寝る事にしたという。
母の住む集合住宅は築40年とかそういう古さのもので、20世帯以上が入ってる中規模なものなのだけれど、母は膝が痛い時があるので、1階の部屋を借りて住んでいた。
布団に入りウトウトとした頃、何か妙な炸裂音を聴いた。
ボンッ!!
寝室にある出窓の外の方から鳴った様な気がして、なんとなく出窓の方を見る。
夜の出窓は漆黒の闇。
のはずが、下から赤い色が揺らめいていて、バチバチという音まで鳴っている。
その赤はすぐに大きくなっていった。
とっさに玄関から共用の廊下に出て、出窓がある場所まで行くと、何かが燃えていた。
すぐに他の住民も何組かがやってきて、皆で消火器を探す。
たまたま見ていた対面のマンションの人も加わり、何本も消火器を集めて次々に発射していくが、炎が消えるまではけっこう時間を要した。
やがて鎮火した後に消防隊がやってきて、第一発見者となった母は対応のサインをしたのであった・・・・。
火は消し止められた。
外壁が焦げていたが、大元となった「何か」が黒い塊となっていた。
それはバイクだった。
詳細は最後まで分からなかったが、改造をしたのだと思われる古いバイクが随分前からそこに止まっていたのだ。
このバイクは放火ではなく、回路が自然発火したのだという。
それが最初の「ボンッ」という音だ。
こうして集合住宅は外壁が大きく焦げたものの、建物自体は暮らしていける様な見た目をしていた。
ただ、バイクから飛び火して燃えたものがあった。
配電盤だった。
こうして、この集合住宅は全てのライフラインが停止した。
電気、ガス、水道、電話、インターネット、下水道。
みな、電気が通わないと動かないのだ。
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再び、青天霹靂の「翌日」
何処に暮らすんだ問題
ライフライン全滅という暮らしをした事あります?
しかも冬。
電気が通らないから暖房も付かない。
そして12月27日というタイミング。
不動産屋の葉月に電話で訪ねる。
ぼく「緊急退避するお部屋などの用意はどうなるんでしょうか」
葉月「皆さんで探して下さい」
ぼく「ビッグサクセス不動産さんで紹介とか出来ないんですか?」
葉月「出来ませんね」
ビッグサクセス不動産(仮称)って結構大きいところなんだけどな・・・
という訳で葉月に「お前では話にならない。ザコは下がってろ」的な事を本当に言って、上の者に交渉。
すぐに緊急退避するための部屋を紹介してくれた。(有料だがこの際、仕方ない)
準備に1日を要するということで、この日は母は電気も通わない部屋で夜を明かしてもらった。毛布にくるまれば何とか大丈夫とのことで。。。
年末にライフラインを開通させることの難しさ
緊急退避場所は淵野辺という駅の近くになった。
※写真は別日の淵野辺駅
この時点で12月28日。
上田市で夜勤をやった後、電話やメールにてこの淵野辺で退避するアパートのライフラインを自分で開通させろということだった。
めちゃくちゃだな、ビッグサクセス不動産(仮称)。
まずは電気。
「年内の営業を終えております。」
次に水道。
「年内の営業を終えております。」
次にガス。
「はい。〇〇ガスです」
うお!ガスだけ開栓出来た!!!
ここで裏技があった!!ガスの担当のお姉さんからご提案が。
「そういったご事情なら・・・。あの、ガスと電気のおまとめプランがあるので、それで契約して頂ければ電気も開通出来ます」
なんと!!!そんな技があったか!!
有難い!!ほんとありがとうございます!!!
そして水道・・・水は生命のライフラン。
こちらも裏技を考え付いた。
水道局の警備員室の番号を調べて電話したのだ。
「はい、水道局!警備室!!え?それは大変ですね・・・。分かりました、正月明けたら職員に言っておくので、使っちゃってください!!使った分は請求にはなりますがきっと」
てな訳で何とか全て開通。
こうして母は12月29日になって1Kのアパートへ退避することが出来たのでした。
火災によるライフラインの復旧は1ヶ月はかかるとのこと。
長いな・・・とは思いつつも、少し延長されたとしても1月いっぱい位で戻れるならまあいいか。
そんな感じで年を越え、1月3日に僕もこの退避アパートへやってきて、床でケーキでも食ったのでした。(笑)
ちなみに、このアパートで住む母の事を「借りぐらしの母エッティ」と呼んでました。
しかしこれはまだ、不動産屋のグダグダ対応の、始まりに過ぎなかったのでした・・・。
→次回へ続く