今回は地方移住に関連したリクエスト企画です。
長野県で中小企業の会社員として働く現実シリーズです。
(そんなシリーズあったっけ・・・)
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3年前…
僕が首都圏から長野県松本市へ移住&転職してきたのは2019年1月。
今から5年半前です。
その時に転職したのは長野県民が創業者の、総勢30名ほどの中小企業です。
本社は東京23区にありますが、長野県松本市にも2名だけ在籍し、大手企業のオフィス内にデスクが2名分ある形態でした。
ところが時代が代わり、コロナ期間の途中だった2021年3月。
その大手企業が長野県への戦略を変更。
社員を全員引き上げて、残された業務を僕ら2名が請け負う事となりました。
コロナ時代だったこともあり、東京から弊社経営陣が来るのも難しい状況だったため、僕は人生で初めて自分で営業所となるテナントビルを探すこととなったのでした。
2ヶ月ほどで安くて交通の便が良いテナントビルが見つかり、そこに2名は務める事となりました。それが現在でも働いている塩尻市になります。
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長野県で中小企業の所長として働く3年間
潰れない様に必至な1年目
今まで、小さな福祉会館で、所属先の企業から一人だけ常駐して働いた事はありました。ただそれは多くの市役所職員や警備会社、清掃会社などとチームを組んでいたり、東京恵比寿のイベントホールでも一人でしたが、音響会社や制作会社と一緒だったりしたので、本当の意味でたったの2名で働くというのは初の体験となりました。
大手企業がクライアントの仕事なので、そこに嫌われてしまえば即失業です。
依頼に対応出来る技術的な理解と、コミュニケーション能力が必須となります。
ただ、実は僕は学歴がとても低いのです。数学や英語で0点なんか珍しくもないほど、学業には向いてませんでした。
高校は偏差値47の荒れた工業高校でしたし、何とか進んだ専門学校もお金さえ払えば誰でも入れる学校でした。(お金を出してくれた両親に感謝です)
社会人になってからは勉学とは関係の無い仕事に就くしかないと考え、舞台・イベント関係の業界に入り、20歳~36歳まで続けました。
37歳~39歳の2年ほど、東京日本橋にて勤務の割と一般的な企業に就いた事がありました。500人ほど社員がいる会社で、僕としては人生最大規模の企業です。
ここでは東京大学、慶応義塾、明治、早稲田、東北、などなど知名度のある大卒のメンバーと一緒に働き、必死ではあったけれど楽しく働く事が出来ました。
今でもラインでくだらないやり取りしてます。
それらの経験が活きました。
長野県でのクライアント大手企業とは2021年以降も密に連携を取る動きをし、現地での対応速度は舞台で培ったレスポンスの速さが評価される事となりましら。
それと日本橋での一般職の経験がメールや提案書作成などにとても活かされる結果となりました。
こうして塩尻1年目では大変な現場も数多くありましたが、無事に乗り切る事が出来たのです。
「地方に移住してのんびり暮らす」
ってよく聞きますし、そういう生き方もありますが、悪いけど仕事に関しては首都圏でのスキルと速度をフルに使わせてもらいます。
僕としては「仕事はバシバシやってプライベートはのんびり」がベストなのです。
だって失礼じゃん、地元の人に対して。
のんびり構えてない相手に対して、仕事をのんびりやるだなんて。
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3人に増えた2年目
2022年夏、請け負う業務の増加に伴い、1名増員しました。
これで2名から3名に増えて、割合としては150%アップです!!(笑)
来てくれたのは、なんとクライアントの大手企業に所属してた人です。
メンバーとしては僕が一番年下であり、そして業界に入ったのも一番後からです。
けれど僕が所長というわけです。
ただまあ、僕は年上の方を敬いますが、遠慮をしている訳にもいかないポジションです。
それと、1名増えて余裕も出たので、例の大手企業クライアントではない企業との新規事業を模索することにしました。
1件は成約し、現地を終える事が出来ましたが、その後は続きませんでした。
自ら考えて新しい事を始めるというのが、いかに大変か思い知った2年目でした。
普段、会社に守られているのだなと強く感じました。
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3年目は売り上げが上がった
2023年4月からの3年目は大手企業クライアントからの新たな案件や、ここまで2年間でやり取りしていた別の大手企業からの仕事も入り、やっとこさ売り上げが上がりました。
営業職とかやった事ないから新規案件を進めるのは本当にどうやったら良いかわからず大変でした。
ちなみに僕は仕事では「移住者」という事は、聞かれない限り話しません。
長野県の悪口ではないのですが、長野県には首都圏よりも多く保守的な人がいるのは事実です。長野県ではない出身者に対して壁を作る人は残念ながら実在します。最初は冗談かと思いましたが、長野県以外に知り合いが一人も居ないっていう人もいるのです。
(まあ北海道や沖縄、離島などの人なら分かりますが、本州である長野県でそういう事があるとは驚きました)
逆に、移住者を歓迎するタイプの長野県民さんも大勢いらっしゃいます。そうだと分かった場合はすぐに移住者だと名乗ります。
この辺の見極めは正直大切です。
なにしろ長野市と松本市という県内同士ですら壁を作る人が多数いるくらいな土地なので、出身地を重要視しているなあと感じるからです。
ちなみに僕自身は出身地とか何のステイタスにもなりません。何処出身だろうと関係ないタイプです。女性も男性も年齢も学歴も何も関係ありません。
強いて言うならルッキズムは持っちゃってます。
だらしない服装の人とよりも、清潔感のある人と仕事したいです。
(汚れる現場の仕事の人は別ですが。僕も作業着で働く事が多いし)
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少人数だとしても、厳しい時も楽しい時も必要
所長というのは辛いポジションです。
3名という少人数の場合、仲が険悪になってしまうと仕事が成り立ちません。
けれど、サボったりするメンバーが居た場合は、やはり怒らねばなりません。
IT系の企業なので品の良い業界ではありますが、僕は元々が野蛮な高校の出ですし、ガチ体育家系の舞台仕事をしてきましたので、IT系の人がドン引くくらいの激怒をする事があります。まあ、演出も含めての怒りなのですが。
それとは逆に普段は雑談を取り入れる様にしてます。
長野県民は自ら笑いを起こすトークをする人が少なめです。
なのでついつい淡々と仕事時間が過ぎたりするのですが、ここは僕が下らないトークをして和やかな時間を取る様にしています。
有難い事に舞台や有名テーマパークを歴任してきたのでネタは沢山ありますし、相手の話にツッコミ入れる事には抵抗がありません。(大阪の人には通用しないと思うけど)
こうして3年間を振り返ると分かる事があります。
長野県に限らずだけど、数名の中小企業でうまくやっていくのに必要な能力はこれだ。
コミュニケーション能力。
間違いない。
これは僕もそんなに高い訳ではないけれど、これが最も大切だ。
ぶっちゃけ首都圏よりも地方の方がコミュニケーション能力は重要な気がする。
そんな確信が生まれた、小さな営業所での3年を振り返ってみた2024年の夏でした。
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